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現代の民話 山の男のロマン KAME SA 物語 2

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※前回のあらまし
笹ヶ峰は妙高山、火打山、焼山、黒姫山などに囲まれた日本でも1、2といわれるほどの美しい高原である。昔ここは大きな湖だった。その後化石湖となった。笹ヶ峰には御新田という村があった。亀サは明治18年その御新田に生まれた。本名は峰村助治という。御新田はある年農作物の大疫病に見舞われ村は離散する。亀サも村人と共にこの美しい山を後にするが、山が忘れられず再び単身山に入った。ある日穴ぐまの巣を見つけた亀サはその穴に手を突っ込んだ。穴ぐまはびっくり仰天、亀サの手に噛みついた。穴ぐまは亀サの手を離さない。力くらべになった。穴ぐまはじりじりと穴の外へ引き出る。亀サと穴ぐまの眼があった。やおら亀サは穴ぐまの鼻に噛みついた。
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雪の中からノッソリ顔を出したのは亀サだ。
「うへっ、熊と間違えたぞ!」誰かが
いった。腰には野うさぎをぶら下げて
いた。それが頭だけのこともある。
それが冬の “亀サスタイル”だ。

亀サがニッコリ笑った。亀サはめったに笑わない。しかし笑うと顔中が笑顔になる。まるで子供のように明るい笑顔である。
笑顔の中で亀サはポッソリといった。
「味噌ととっかえてくんないか」
亀サの視線が腰に下げたうさぎを見た。
笹ヶ峰には発電所がある。その工事には亀サも一役買ったことがある。昭和初期のことだ。工事の資材は長野県側の柏原から黒姫山麓を上る御鷹軌道を使い、笹ヶ峰に運び上げた。この軌道はうっそうとした森を通る。昼でもうす暗い軌道である。軌道の跡はいまでも遊歩道として残っている。
笹ヶ峰の秋は短い。紅葉が山や高原をおおったかと思うと10月中旬には雪がくる。
その発電所も冬はすっぽり雪に埋ってしまう。だから人の通わない陸の孤島になってしまっう。何人かの所員は食料を持って交代でろう城である。
うさぎがとれると、亀サは時たま雪に埋ったこの発電所を訪れた。
味噌は亀サにとって大変な贅沢品である。そして特に冬は亀サの大切な栄養補給源でもあった。うさぎと味噌の物々交換が終わるとその味噌を抱きかかえるようにして、また亀サは雪の中へ消えていった。

白い雪の上に点々と小さな足跡を見つけると、亀サの心は子供のようにはずむのだ。
「きつねかな?うさぎか?てんか?」
雪が積ると足跡はくっきりと浮び上るので、そこを何が歩いたかがすぐわかる。
「うさぎは亀の敵だ」
亀サは口ぐせのようにそんなことをいって人を笑わせた。だから‥‥‥亀サはうさぎとりの名人でもある。といっても別に銃で撃つわけではない。名付けて ”亀式うさぎとり“ こんな方法である。
山が一面に雪で包まれる頃になると、亀サはベータ作りに余念がない。ベータとは棒切れのことだが、亀サが作るベータはただの棒切れではない。まず手でにぎるのに丁度いいような棒を集める。その小枝をはらう。それを長さ40センチくらいに揃える。丁度陸上競技のリレーに使うバトンのようなものだと思えばいい。そのほかに特別な仕掛けがあるわけではない。
「よし、出陣だ」
野うさぎは夜行性の動物である。昼間は大きな木の根元の雪のくぼみとか、自分で雪穴を掘り、その中でねていることが多い。
亀サは用意したベータを10本ほど抱えると、雪の山に入っていった。亀サの眼はするどい。白い雪肌のどんな小さな動きも見逃さない。

あっ鷹がきた
亀サの茶色の瞳がキラっと輝いた。小さなうさぎの足跡を見つけたのだ。かわいらしい白い足跡がどんどん雪山を登っていく。冬の白い空にとけこんでいく。かんじきをはいた亀サは息もきらさずに白い山を登っていった。
そこだけこんもりと盛り上がった雪の陰からそっとのぞいてみる。
「いたぞ」
うさぎは木の根本に陽なたぼっこをするようにねている。雪穴にもぐりこんでいることもあるが、その周りの雪に沢山の足跡がつけられているから、うさぎのねぐらはすぐわかる。
亀サは抱えていたベータをそっと雪の上に置いた。そしてその一本をとると、うさぎに当たらないように頭上めがけて力強く投げた。ベータは 「ブーン」とうなりを上げて、うさぎの頭の上を飛んでいく。うさぎは一瞬きょとんとして空を見上げた。そこで2本目をつづけて投げる。ベータはまた 「ブーン」とうなりを上げて飛んでいく。うさぎはハッとしてあわてて自分の穴へ逃げこんだ。
肝心なのはこの 「ブーン」である。うさぎは鷹の羽音と間違えて、驚いて自分の雪穴へもぐり込むのだ。

雪焼けした亀サの真黒な顔が満面笑みをたたえていた。念のためもう一本ベータを投げる。それはうなりを上げて雪穴の上を飛んでいった。
「よしこれで追いこんだぞ」
亀サは独りごとをいう。そしてゆっくり雪穴に近づいていった。今度はその雪穴掘りだ。逃げ場を失ない、雪穴の奥で小さくなっているうさぎを手づかみにするという寸法だ。これが「亀式うさぎとり」法である。
こうしたうさぎとりの方法は、人間の知恵として昔から伝えられていた。ベータにひもをつけると、もっと鷹の羽音に似てくるという。藁をあんでベータにつけるという方法はもある。これを地方によってワラダ猟ともいう。鷹の羽音には特に敏感な野うさぎの性質を利用した方法である。
亀サの方法はひもや藁のついたしゃれたものではない。木の棒だけの一番原始的な方法である。それでも一度ねらったうさぎを亀サは絶対に逃さなかった。

うさぎを1羽 (うさぎは1匹2匹ではなくて、1羽2羽と数える) とれば、亀サにとっては1週間分くらいの食料になる。味噌がなくなるともう1羽うさぎをとって物々交換に出掛けていく。
亀サにいつもうさぎを腰に下げて山を歩く。
腹がへればそれを食べる。亀サにとって腰弁みたいなものである。肉を食べてしまい、他に食べるものがなければ骨をかじってすごす。
貧しさなど亀サは全く気にもかけない。そのことよりも山で生きる喜びの方が亀サにとって何倍も大きかった。
まだ16才の青年の時、村は離散して亀サは山を下りた。その亀サがひきつけられるように1人でまた山にもどってきた。
「俺は山の仲間になる」
その時から亀サのからだの中で、この言葉が鳴りひびいていた。
「山の仲間になれば、山は食料だって用意してくれるものだ」
白一色に包まれた笹ヶ峰の雪の中で、亀サはきょうも自分にそう語りかける。

亀サの、これが山の哲学でもある。

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