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妙高山の裾野から広がるスキーの歴史

秋になると、妙高高原の温度は急に下がります。夏でも二二度cくらい(1983年)なのに、十月は十二度c前後、11月には約6度c、12月には1度cくらい。11月にも1度cになることがあるんです。大陸の高気圧や日本海、山麓の気流などの関係で北信五岳の中でも雪におおわれるのは一番早く積雪量も多いんです。
妙高山を越後富士ともいいます。約五千年前、最後の大爆発を起こしてから沈黙を守り続ける妙高山の山麓には温泉地とスキー場がとりまいているんです。一つの山でこれほど沢山のスキー場があるのも日本では少ないでしょう。そして日本でもっとも古い伝統を持つスキー場の一つ、赤倉、池の平のスキー場があるのもその広い裾野です。

上信越国立公園は日本の “スキー公園” だともいわれています。
北信五岳はその “スキー公園” の一角を占めていますが、この妙高山がそのもっとも北に位置します。山の中腹にある赤倉観光ホテルスキー場は、昭和十二年日本ではじめて ”国際スキー場“ の指定を受けたスキー場です。
日本のスキーの歴史は妙高山の北側にある同じ新潟県の高田から第一歩を踏み出しました。明治四十四年のことです。そしてこの広い妙高山の裾野で磨きがかけられていったわけです。広い美しい裾野から日本のスキーの歴史が広がっていったといえるでしょう。
ところで最近改めてクロスカントリーが脚光をあびています。裾野の赤倉ゴルフコースが、冬は ”歩くスキー場“ に一変するのも妙高の特色の一つです。

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”杉の沢美人“
絶世の美人といわれた高尾という人を知ってますか。江戸時代吉原を騒がせたんです。高田十五万石の榊原式部大輔がこの高尾を見て一眼ぼれ。それ以来明けても暮れても高尾のことばかり。そして晴れて落籍。佳人薄命というけど、残念ながら高尾も薄命だったとか。この人が杉の沢生れ。さて現代の杉の沢美人は‥‥‥。男なら一眼お目にかからなくちゃね。

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