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『はや釣り先生日記』・坪田譲治の野尻湖

少年は野尻湖にそった道を走り去った。
「おーい, しまみみずを忘れるなよ」
少年の背にそう呼びかけたのは坪田譲治である。
「わかった」
その声はもう山の道にさしかかっていた。
二人は次の野尻湖に釣りに出る約束をしていた。少年は彼の遊び友達である。小学校五年でKといった。
彼の釣のコースは決まっていた。湖畔の宿でボートを借り弁天島へ。島の北側にある ”つりばな“ の木に船をつなぐ。次は樅が崎へ。
釣りの日には少年が必ずはや釣りのえさにする “しまみみず” を掘ってくる。彼は竿を二本用意するのだ。
これがいつか二人の分担になっていた。

多分少年の心を察したのだろう。ある日彼はきれいなうるしぬりのウキを10本ほど少年の前に並べた。
「どれべも好きなもの1つ持っていっていいよ」
彼は必ず相手に選ばせる。自分の書いた本をあげる時も、違う作家の本と一緒に少年の前から何冊も並べて選ばれた。

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小説手法を駆使し新しい生活童話の世界を確立した坪田譲治が初めて野尻湖を訪れたのは昭和十四年のことだ。一眼でその山あいの湖にほれこみ、この年から昭和五十七年生涯を閉じるまで彼と野尻湖の長いつき合いが始まる。戦争末期から野尻湖畔に家を構え、昭和二十一年は家族全員湖畔で正月を迎えた。

「心の遠きところ花静かなる田園あり」野尻湖畔の、今はない坪田譲治の家の跡にこんな石碑が立っている。
「花静かな田園って、山を越えた君の家のあるところだよ。」
彼は少年にそう話したことがある。少年の耳にはいまもその声がついきのうのことのようにこだましている。

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穴釣りの ” 穴 ”
” 穴釣り“ といえばことわるまでもなくわかさぎ(わかさぎ科) 釣り。氷に穴をあけて糸をたらすわけ。ご当人は寒いけれど絵になりますね。
しかし‥‥‥。絵にならない場合もあるんです。穴を大きく開ける人がいるんです。直径せいぜい一五センチほどでいいのに、三〇センチも、五十センチもあける。大きいほど釣れるわけじゃないのに。雪が降ると穴がどこにあるのかわからなくなります。
「 あっ、ズボッ!」
なんて。片足でも大変なことになるのに、五十センチにもなると、からだごと落っこちゃう。危ない。危ない。絵になるどころか、へたすると氷の下になっちゃう。

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