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二年参り
「二年まいりに行って来る」一升ビンを抱えて青年は出ていた。
お酒は神社へお供えするおみきである。夕方からまた雪になり、夜に入って風がでてきた。ちょっとした吹雪である。旧年中に神社のある山に登る。神さまにお酒をお供えして、その酒で今度はみんなで乾杯する。
「新年おめでとう」
“二年まいり” とは初詣でのこと。
旧年中に氏神さまへ行き、初詣でをすませて、新しい年に山を下りてくる。だから家に帰ると元旦の午前一時すぎになる。
「二年まいりをすませてきた。じゃ新年を祝して一杯やろう」
改めて誰かが音頭をとる。そうしている間も雪はしんしんと降り積もっていく。
「今夜もかなり積りそうだな」
外は雪明かりで白夜のようだ。二年参りに夜はいつまでも明るい笑いが消えない。
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ふかぐつ
「難しいのは藁の先の始末だ。これがゆるいと、ほぐれてしまう」
おじいさんはそういいながらリズミカルに手を動かしていく。
「最近はわざわざ作る人も少なくなった」
“ふかぐつ” とは藁で作った長ぐつのことである。雪の中を歩く長ぐつだ。軽くて暖かい。これをはいて新雪を歩くと雪の肌をじかに感じるようだ。最近はカラフルなしゃれた長ぐつが出回っている。だから誰もふかぐつなど見向きもしなくなってしまった。
雪道を歩くのに“かんじき” というのもある。潅木の幹をまげて輪を作り、輪の中を麻なわか鉄の線であみ状にする。それをふかぐつに結びつける。もぐりやすい新雪の上も歩きやすくなる。
雪国の生活には欠かせない、昔から伝わった生活に知恵である。
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佐渡運上金銀
北国街道 ”道中諸事之覚“ としてこんな記録が残っている。
佐渡運上金銀御通りの時は、まず先立って出雲崎から御先触れの書付がくる。その書付に御運上金銀何十駄と書いてある。その趣を写して(飯山藩へ)注意する。金銀が野尻へ着く朝、飯山から御奉行様二人、小頭一人、足軽二十人、御付人一人が野尻へ出張し、金銀がついた時は御運上御蔵の前にコモを敷き、野尻、柏原、古間、三宿の問屋・組頭がつめ金銀の封印・判鏡を申し請け、改める。万一違っているところがあったら‥‥‥後略。
万一違っていたら大変なことになる。覚書はこういった調子でえんえんと続く。さすが佐渡運上金である。このほか覚書の中には加賀百万石の前田様が通る時はとか、北国街道を通る諸大名の迎え方送り方まで細かく書いてある。
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雪を見る
こんな言葉がある。
“みそさざいが家の付近で鳴けば雪降りとなる”
雪を予測することわざは非常に多い。それが動物の行動の仕方であったり、昆虫が越冬する巣の作り方であったりする。植物の春から夏の花の咲き方で、その年の雪の降り方を予測したものもある。実のり方、つるや葉の伸び方で予測したものもある。
雪国ではやはり今年の冬の雪はどうなるだろう、というのが一年で一番大きな関心事になるからだ。
そして‥‥‥”大雪は豊作の兆 ” などと雪の降り方で次の年の豊凶を予測することわざまである。大雪がかならずしも豊作にはつながらないが、冬中生活を悩ます雪が次の年の豊凶に結びつくことはたしかだ。雪は農作業での大切な灌漑水源だからである。