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忍法 “養生の術”飯綱山でなんと170才

これぞ神通力
「むっ!」
彼は下腹にグッと力を入れたんです。あなたも「むっ!」って声を出していってごらんなさい。腹に力が入ります。
彼はそのまま飯綱山頂で一人 ”行“に入りました。
穀類の食事はいっさいせず、草の葉や根、実を食べ、長い ”行“ の末 ”養生の術“ を会得したんです。神通力です。なんと彼は170才まで山中で元気に生きたということです。
これは鎌倉時代ー750年ほど前の話です。飯綱山は行者の修驗の山として有名でした。行者たちは飯綱山にこもり、それから戸隠山に移ったということです。

信玄・謙信の戦い
上杉謙信の印章にこんな文字が刻んであります。
「勝軍地蔵・摩利支天・飯綱明神」
最初にある ”勝軍地蔵 “とは戸隠にある仏さまです。
北信五岳地方は武田信玄と上杉謙信が戦ったところ。至るところからこの2人に関する戦いの記録が出てきます。直接刀を交える戦いだけでなく信仰での戦いもありました。
弘治3年 (1558年) 武田信玄は葛山城を急襲して上杉謙信を追っぱらうと、すぐに飯綱権現に参り、その後長刀を奉納したり、お金を寄付したりしています。
一方この戦いで負けた上杉謙信も飯綱権現をすごく信仰していたのです。そこで 「くやしい」とばかり、印章にその名を刻んだということです。
勝軍地蔵と飯綱明神をいっぺんに刻むとはよくばりな‥‥‥。

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  “妖術” 使いの本山

”飯綱使い“ という古い言葉が残っています。”狐使い“ ともいいます。
飯綱はその昔から “原始忍法” の発祥の地として有名な地。
平安時代の文書にこんなことが書いてあります。
「信濃の某司が、妖術を奥部の郡司から学んだ」
奥部とは飯綱を中心とした軍をさすようです。妖術とは忍法のことでしょう。時代劇の忍法の舞台はこの地方です。

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