ぼーしやJAM工房

ぼーしやJAM工房からのご案内です。

トマトジャムの始まり

ジャム屋を始めるために野尻湖畔を離れ 湖畔から1キロメートル程山に入った本道という村に小さな工房を建てました。
その工房のとなりが夏になるとトマト畑になったんです。工房の隣の農家、佐藤さんは2反ほどのトマト畑を育てていました。 そのトマトはとても美味しかったんです。高原野菜は美味しいというけれど これはまさに“ピカイチ”という言い方が当たっていました。

翌年、僕はその農家の佐藤さんにルバーブの栽培を頼のみました。
ところが夏になって育ったものは、ジャム用のルバーブではなくて ルバーブチャド(又はスイスチャド、ふだん草)というものでした。名前と赤い色で間違えて種を送って来たのです。
それにしても2反ほどの畑にびっしりと育ってしまっているスイスチャドをどうするか困ってしまいました。文献を調べてみると茎はアスパラガス、葉はホウレンソウとでています。僕は佐藤さんに相談して野菜市場へ出荷することにしました。

長野市の野菜市場に朝5時に着くと 出荷票を書き込み スイスチャドを並べます。八百屋さんは物珍しがって寄っては来てくれるのですが誰もこれが何だか知りません。口でいくら説明しても お付き合い程度に買ってくれる人がいた程度だったんです。
こんな見知らぬ野菜を持ってきたのは僕たちが初めてだったのですね。

数日して、だれもスイスチャドを知らないので、売り方を食べ方を教えると言う方法にする事にしました。
佐藤さんのおばさんが朝早くからスイスチャドを炒め物にしたり、おひたしにしたりしてくれました。さて、これを持って行ったおかげで市場では、評判になりました。
「変な野菜を売っているのがいる」
東京や大阪、名古屋などの有名スパーマーケットに送っているという人達の目にもついて 飛ぶようにと言うわけにはいかなかのですが、売れてくれました。

佐藤さんが「トマトも持って行きたい」と言うので トマトの箱もスイスチャドと一緒に車に積んで市場通いを始めました。もちろんトマトを切って味見できる用意をしてです。トマトは予想以上の反響でした。トマトの箱の前で八百屋さんを呼び止めて味見してもらいます。佐藤さんが八百屋さんへトマトの説明する朴訥な話し方は聞いていてとても感銘を受けました。

何日もしない内に 朝市場に着いて箱を置いていると 名札を置いて行く八百屋さんが現れ始めました。競りの最高値で買うと言う事なのだそうです。
その後 佐藤さんは“佐藤さんのトマト”と印刷された箱を作り“佐藤さんのトマト”ブランドで人気を博しました。野菜市場では    トウモロコシしか知られていなかった信濃町だったのですけれど、一躍トマトでも有名にしたようでした。
何しろ、毎朝の新聞に出る市場トマトの最高値はいつも佐藤さんのトマトだったのだのですから。

僕はそんな“佐藤さんのトマト”でトマトピューレ(またはトマトソース)を作りました。佐藤さんのトマトは“桃太郎”と言う品種だったのでソースそのものが甘みのあるものになり なかなかの人気物になりました。
そのあと秋になってリンゴが出てくる頃のシーズン最後のトマトとリンゴを合わせて”トマト&アップルJamを作り始めたのです。

佐藤さんは トマト作りのために羊を飼っていました。羊の糞を利用して堆肥を作りしていたのです。これが味の良かった秘密なのかも知れなかったですね。もちろん、堆肥の作り方、トマトの世話の仕方もあったでしょうけれど。 
堆肥が理由なのか。本当は連作障害が出るはずなのに 佐藤さんは同じ畑で毎年トマト作りをしていました。ですが何の障害もなかったんです。
羊は年によって多少数が変わったけれど 約20頭、昼は放牧されて太陽の光を浴びながら草を食み、夜は羊畜舎で寝ていました。羊たちはなかなか良い暮らしをしてましたよね。

その後、僕は佐藤さんと数人の仲間の協力を得て 羊小屋を使って何度かコンサートを開きました。「羊小屋コンサート」“農村の暮らしの中にある音楽、コンサート”を模索したつもりだったんです。出演者は国内のフォーク、クラッシック、の演奏者の他、南米の演奏家が来てくれました。

佐藤理一さんと奥さんの文江さんは僕たちの活動の大事なパートナーであり援助者だったんです。
「満蒙開拓へ行った」
佐藤さんは言っていました。( 満蒙開拓青少年義勇軍。戦中の国策として尋常小学校を卒業した16歳から19歳までの子供で希望者を現在の中国東北部に開拓民として送ったんです)そして現地で軍に徴集されます。敗戦後、ソ連軍に連行され 中央アジアの収容所に押し込められました。そこで音楽隊に属したために生き延びたと言っていました。
「音楽隊は他の収容者よりも少しだけ待遇が良かったのだよ」
佐藤さんは、羊小屋でのコンサート後の打ち上げでロシア民謡を何度か聞かせてくれました。帰国は昭和23年だそうです。佐藤さんご夫婦、御二人は日本の歴史そのものですよね。佐藤さんが僕のすることに寛大だったのは彼の経てきた体験から来るものも大きかったかも知れません。
ぼーしやJAM工房のトマト&アップルジャムはそんな風に生まれました。

トマトは南アメリカ アンデス山脈、高原地帯原産。
ナス科、ナス属
赤系、ピンク系、緑系がある。(“桃太郎トマト”はピンク系)
世界で800種以上あり、国内には120種程度。
ハコピン(抗酸化作用がある)が多くふくまれています。
16世紀、メキシコ アステカ族が栽培していたのだそうです。ヨーロッパへは1519年エロナン.コルテスがメキシコから種を持ち帰りました。しかし当初毒があるとされ観賞用であったのです。しかしその後イタリアで食用と考えられ、200年の開発、品種改良の結果、現在の形になりました。
日本では。江戸時代長崎に伝わっています。食用としては明治以降からですね。
*トマトはアメリカで最初の遺伝子組み換え作物として承認された。

生食 100gあたり
エネルギー   18kcal
炭水化物    3.89g
糖類      2.63g
食物繊維    1.2g
脂肪      0.2g
たんぱく質   0.88g

コリン     6.7㎎
ビタミンC   13.7㎎
ナトリウム   5㎎
カリウム    237㎎
カルシウム   10㎎
マグネシウム  11㎎
リン      24㎎
鉄分      0.27㎎
亜鉛      0.11㎎
マンガン    0,114㎎ 

水分      94.52g 

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