ぼーしやJAM工房

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プルーンのジャム

カナダからエディが野尻に来たのは2001年の9月でした。成田飛行場に着いた日はひどい台風で高速道路が閉鎖されてしまいました。高速道路が使える所を探し、再び開通する道路を確認しながら飛行場へ向かいました。着陸に随分時間がかかったものの、彼とレオナを迎えて無事に野尻に帰ってきました。

エディがジャム作りを手伝ってくれると言うので エディ、レオナと僕達とで山下さんを訪ねました。夏が終わり北信濃はすでに秋です。いろいろな色の実が山下さんの果樹林に実っています。僕たちを案内して山下さんが木々の間を歩きながら言いました。
「プルーンがいいところだな」
紫のたて長な実がたくさん枝に鈴なりに実っていました。
「プルーンてこんなに実を付けるんですね。」
一つ割って食べてみました。
「美味しい」
二人もプルーンを食べています。
プルーンはプラムの仲間です。ただシュガープラムと言われたりするように酸味は少なくて甘みのある果実です。
そこで山下さんにプルーンをいただき、野尻に持ち帰ってプルーンのジャム作りをはじめました。

エディの父親は1900年台初めころに 沖縄からカナダへ移民したのです。
(明治の初め新政府の下で 各地の農民が困窮しました。そんな中で海外へ出稼ぎが始まりました。カナダへは特に岡山、広島そして沖縄出身者が多かったそうです)
エディの両親の話を聞きながらのジャム作りの作業になりました。僕たちの計画では9月の終わりころに沖縄へエディの親戚を訪ねることになっていました。 だから当然とエディの両親の話は進みます。

カナダへ日本から移民が始まったのは1800年代の終わりのころです。カナダでの鉄道建設や森林伐採に労働者が必要だったのです。そこで日本と中国に労働者を求めました。 (1862年の黒人奴隷解放によって 新たな安い労働力を必要としていた北米社会はアジアにその労働力を求めたのですね。)

沖縄で初めてエディはエディの親戚に会いました。彼はエディのいとこにあたります。彼はエディを彼のおじさん、エディのお父さんのいとこにひき会わせてくれました。
「お父さんはカナダの鉄道会社と契約して契約支度金をもらったんだよ」
とそのおじいさんは話し始めました。
「そのお金で彼の両親に新しく瓦の屋根の家を建てたよ」
その頃を覚えていたおじいさんが話してくれました。
「手漕ぎ船で、ほら あそこの浜から漕ぎ出していった」
「わしらみんな手を振っていた」
 小さな島の小さな村を出てカナダに向かったのです。
「瓦の乗った屋根の家はその村では彼の家が初めてだった。わしらはみんな貧しかった」
村の周りの畑でサトウキビが風に揺れていました。

カナダにおける彼らの暮らしは厳しいものであったようです。彼は初め鉄道建設工事でロッキー山脈の中で働き、契約年が過ぎると炭鉱で、そして農地を借りて農業をしました。作物は砂糖ダイコンだったそうです。
「収穫はきつい仕事だった」
エディの兄弟が教えてくれました。
安い賃金で働く日本人は、カナダ人に憎まれひどい差別にあったのです。またカナダの国も差別を隠さない処置をしました。
「私たちはセカンドシチズンだった」
エディのお姉さんは言っていました。白人と同じレストランに入れなかったそうです。
「あの悔しさは忘れられない」
そう言った彼女の表情はきついものでした。
労賃は普通の白人の半分か3分の1、農地を借りて農業をすると収穫の半分は地主が持って行く契約だったのです。

第2次世界大戦は海岸線の町に住む日系人を収容所へ押し込まれることになりましたが、彼らは内陸部に暮らしていたので難をまぬがれました。近くにドイツ人兵士捕虜の収容所があったそうですね。
「そのドイツ兵はどこから連れて来たんですか?」
「分からないが、鉄の網の間からチョコレートをよくもらったよ」

それでも両親がお金や洋服などをときどき沖縄の家族へ仕送りをしているのを見た と言います。

それにしても 国民を移民として北米に出した日本が、移民の送り先と戦争を始めるというのは移民した人々にとっては たまったものではありませんね。満州もそうでしたね。南米へ渡った人たちはどうだったんでしょう? 差別をする人々や国、一人が集まってできた国のその国民や国の意思で動いた人々を守ることができない国。人々は苦しませられますね。

ともかく、9月の終わりに 僕たちは沖縄へ行きエディは初めて沖縄のいとこに会うことができました。そして両親が100年以上前に離れた生まれ故郷を見、世界、カナダ、日本の歴史の中で揺れ動かされた自分たちの暮らしを思ったようです。(このあと、広島出身のご両親を持つ女性にも知り合いました。彼女は収容所へ送られたそうでした)

さて今回のプルーンのジャムはどんな味になったんでしょう?甘くなったか、酸っぱくなったか はたまた苦くなってしまったか。プルーンのジャムを作るたびに沖縄の事を想い出します。
 

プルーン

バラ科 スモモ属
プラムの亜種で種族間の交ばいでできたと思われる。
プラムの亜種であるプルーン、プラムの歴史はリンゴの様に果物の栽培種として最も古い種の一つだけれども プルーンは他のプラムと交じってヨーロッパでできた。
エネルギー  205kcal

炭水化物   12,6g
食物繊維   1.9g
脂質     0.1g
たんぱく質  0.7g
ビタミン1  0.03㎎
ビタミン2  0.03㎎
ビタミン3  0.5㎎
ビタミン5  0.22㎎
ビタミン6  0.06㎎
ビタミンC  4㎎
ビタミンE  1.3㎎
ナトリウム  1㎎
カリウム   220㎎
カルシウム  6㎎
マグネシウム 7㎎
リン     14㎎
鉄分     0.2㎎
亜鉛     0.1㎎
銅      0.06㎎
水分     86.2g

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