ぼーしやJAM工房

ぼーしやJAM工房からのご案内です。

ルバーブの話

僕がジャムを作り始めたきっかけはルバーブに出会ったからです。
ルバーブがあったからジャム屋になったんですね。

今から35年ほど前になるでしょうか、国際村のメンバーの方に教えていただいたのです。誰に教えていただいたのだったかもう忘れてしまったけれど、どんな料理に使うとか調理の仕方だとか随分親切に、とても楽しく教えていただいた事を覚えています。それで”ぼーしや”ではケーキやクッキーの試作を母が父と僕はジャムを試作しました。
当時軽井沢で父はひょんなことで知り合った(フランス文学の研究者で日本のフランス料理を育てた)山本直文氏に懇意にしていただいていました。

こんな食の大家に味見をしていただくなどおこがましかったのですが何度か父は軽井沢に足を運びルバーブ.ジャムの味の合格点を山本直文さんに頂きました。これがぼーしやJAM工房のジャム作りの始まりです。
その当時は日本でルバーブJAMを作っている所は無かったので、どころかほとんど誰もルバーブを知らなかったので 味見本をもって各地を歩きましたが人々の反応はまさに様様な物でした。父と苦笑するようなこともありました。

ルバーブは南シベリヤが原産です。ただ薬としては同じ仲間のダイオウが5000年以上前から中国で薬として使われています。ヨーロッパへ渡っても長くは薬として使われたようですが食用としては17世紀にイギリスでの記録が残っています。

日本でルバーブの話題が頻繁に本に出るようになったのはここ15年ほどではないでしょうか。その前に大田愛人さん「辺境の食卓」の中に出てくるルバーブが話題になった事がありました。僕がジャムを始めたころです。

いつ日本でルバーブの栽培が始まったかです。
今まではA. ストーン さん(カナダ人宣教師、農業改良、古間鎌の製造の近代化などに貢献し洞爺丸事故で亡くなった)がカナダからスウィート.コーンなどと一緒に野尻湖畔に持ってきたのが始まりと言われていましたが、それ以前野尻湖協会を開村して1921年にアメリカから種を移入したとの記録が残っていました。
そして野尻国際村を開村した当時の村長さんのHomer Grafton氏が平塚さんへ栽培を委託したという事です。
さらに調べて行くと宮城県七ヶ浜高山の外国人村に明治23年.1890年にアメリカからルバーブの種が入っている記録が見つかりました。どうもこれがルバーブ栽培の始まりのようです。
それら以外にも国際村は軽井沢(明治21年開村)または明治の大使館関係者は日光に別荘を作ったと言う記録があるので、そういう所に個人的に家庭用としてルバーブが育てられていたかも知れませんが、今の所僕の調べた範囲ではそれらの記録には残っていませんでした。

野尻湖畔は2番目のスタートでしたがここからルバーブが日本に広がっていったのは確かなように思います。
ルバーブに惚れてジャム屋になった僕は、そんな歴史的な意味も含まってこの土地でルバーブのジャムを作って行ける喜びを感じています。

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