夏ぐみの実が赤くなっていました。そして落ちたその実がつぶれて アスファルト舗装の農道が赤黄色になっています。
7月の初めのこの頃は、まだ梅雨の最中ですね。夏グミの雨に濡れた赤い実は きらきらと光っていて とてもキレイです。僕はそんな頃にJAM工房のスタッフと一緒に夏ぐみを摘みはじめます。
信濃町には 以前から沢山の童話作家が夏を楽しんでいます。夏ぐみを摘む段になると彼女たち、彼らの事を思います。
三脚を持って枝の下に行き、三脚を登って枝の中に顔を入れると、そこはもう今までいた世界とは違う世界です。緑、黄色、オレンジ、赤の実が 緑の葉と濃い茶色の枝を背景に無数に下がっています。僕の前も、後ろも、横も、上も、まわり中に透明感のある夏ぐみの実の色があるんです。そしてその向こうは梅雨の青空です。なんだか色を見ているだけでも 童話作家のいわさきちひろさんの絵の中に飛び込んでしまったような感じです。
いわさきちひろさんも信濃町の黒姫にサマーハウスをお持ちだったんです。今はその建物が黒姫童話館に移築されています。
信濃町に童話作家が多く夏のサマーハウスを持っていました。そのきっかけになったのは 野尻湖畔に坪田譲治さん(児童文学、1890-1982)が戦争中、疎開していた事が発端です。
ぼーしやJAM工房のある村にも彼はよく遊びに来ていて 村の年配の方は子供の頃 坪田さんと一緒に遊んだ事を覚えています。
「『心の遠きところ 花静かなる田園あり』は君の村の事だよ」
そのおじいさんは 坪田譲治さんにそう言われたと言っていました。
僕たちが夏グミを摘んでいる辺りです。今は荒れてヨシが生い茂った田が広がっていますが、あの頃は整然と田んぼが続いていました。この詩で詠まれた花は“さわ小車草”ですね。
信越線で野尻湖のある黒姫駅から新潟方面に少し行くと高田と言う町があります。坪田譲治さんが野尻湖に来たきっかけは当時そこに小川未明さん(児童文学、1882-1961)がいたからだと言う事です。小川未明さんは高田の出身だそうです。疎開に来ていたんですかね。東京で活動していた小川未明さんがどうして高田にいたかは、僕は知りませんが、ともかく野尻村と児童文学者と関係が始まったのはそんなことからだったんです。
ところで、この辺りは信州と越後の国境で辺境の地なんです。だから盗賊、義賊の民話もたくさん残っています。
僕のジャムを作っている村の隣の村には源義経に討たれた 熊坂長範(大盗賊)の話があります。熊坂長範はきっと子分を連れてこの村を走り抜けたかもしれませんね、又はいまだに見つかっていない彼の隠した宝はこの村のどこかにあるかも知れません。
黒姫山には黒姫伝説が苗名の滝には地雷也(盗賊、忍者)の話があります。彼は、いまだに漫画、アニメ―ションのキャラクターに登場しています。なかなか長生きなイメージですよね。地雷也も蛙の背に乗って夏グミをとって食べていたでしょうか?
面白い民話や伝説があることは、山があり湖があってこの高原の環境の良さの魅力に加えて 多くの童話作家を引き付けた理由かも知れませんね。もちろん童話作家だけでは無くて、いろんな方面で活躍している方々を引き付けているようです。
夏ぐみの渋味はそんな民話の味がします。そして野の実としてこの土地の時間の流れにずっといたんですね。そんな風にも野の実は民話とはつながっているように思います
夏ぐみを始め、野の実のジャムを作ろうと思ったのは、この土地で暮らしている自分の回りにある自然の実をジャムにすることで 肌で(舌でかな?)季節を楽しめると思ったんです。そして、いつもと違うスパイスを ちょっとだけ食事に足すことで もっと暮らしている土地を楽しめると考えたんです。
沢山はいらないんです。少しだけ。鳥だってこの季節には“この実”って言う風に予定していますからね。うまく分け合っていくつもりです。
時代に向かって、新しいものを作り出そうとするときは 芸術家と技術者とデザイナーが一緒に仕事をするんですね。そんなパターンを良く見ることができます。
ジャム屋はどうですかね? 新しいものを作り出したいでしょうか?
そうですね。新しい物は作りたいですね。
野の実、里の原にある実は昔から人になじみのある野生の実です。ジャム屋は、童話作家の様に物語のある味と言うか 何かの物語を食べているような、そんなジャムを作りたいと思っています。
夏ぐみ
ぐみ科 ぐみ属
エネルギ- 68kcal
たんぱく質 1.3g
脂質 0.2g
炭水化物 17.2g
食物繊維 2.0g
ビタミンE 2.3㎎
ビタミンB1 0.01㎎
ビタミンB2 0.04㎎
ビタミンB6 0.02㎎
ナイアシン 0.3㎎
ビタミンⅭ 2.0㎎
ナトリウム 2㎎
カリウム 130㎎
カルシウム 10㎎
マグネシウム 4㎎
リン 24㎎
鉄 0.2㎎